TBSラジオ年末交通情報~おまけつき~(その②)
続き…
ナレ:そもそもラジオで交通情報が始まったのは
車が普及し始め、特に東京の渋滞が激しくなってきた
1961年。ニッポン放送がはじめと言われている。
当初は放送局が自力で情報を集めていたが、
その後、警視庁も専門の部署を作り
情報を提供するようになっていった。
(過去音声)
ナレ:現在のラジオの交通情報は、警察やNEXCO首都高速などから
提供される情報を1970年に設立された日本道路交通センター
JARTICが集約し、そこで放送業務を担当する職員が
各局に登場し伝えるという形がメインになっている。
そんな中TBSラジオは、JARTICからの情報のほかに
警視庁と3つの県警、神奈川県警、埼玉県警、千葉県警に
専属の交通情報キャスターを置いている。
ところが、意外なことに立ち上げ当時の事を知っている人間が
TBSには殆どいない。
(女性キャスターOA音声)
ナレ:そこで話を聞くことにしたのは、千葉県警の交通情報の
黎明期を知るベテランキャスター河瀬やよひである。
彼女はTBSラジオが各県警に放送ブースを設置した
1970年代からキャスターを務めている。
この仕事に就くことになったきっかけを語ってくれた。
河瀬:まずTBSラジオのプロデューサーの方が
やはり交通情報はなにかあったときに駆け付けられる
人じゃなくちゃいけないという事で
千葉にも住んでいるし管制センターにも歩いてでも行ける
という距離だったので担当しました。
ナレ:現在は専属のキャスターの数が少なくなっているという。
こんな所にも不況の影響がでているのか。
河瀬:でもTBSは情報が大事だという局の方たちの方針で
大事だから残してと頑張ってくれました。
ナレ:思わぬハプニングも起きる
河瀬:放送時間が無い時もペチャクチャペチャクチャ
お話に花が咲くわけなんですよね。
廊下に出たり、どっかの局のスタジオにみんな集まってたり
そういう時に思わず話が弾んで飛ばした人が何人か…
他局で、TBSはありませんでしたけども。
そういう事ありました。
ナレ:これまで千葉県警担当一筋の河瀬は、
日本の道路の変化をつぶさに見てきた生き証人でもある。
ナレ:もう一人TBSラジオの交通情報キャスターには
ベテランがいる。河瀬やよひの3年ほど後輩にあたり
ながらく警視庁を担当している、碓氷浩子。
彼女の仕事場は、東京港区警視庁新橋庁舎3階
警視庁交通管制センター。ここにはTBSラジオの他
各ラジオ局の放送ブースが並ぶ。
今回特別に取材が許され密着することにした。
その③につづく…